STAFFINTERVIEW

生産技術・管理系

生産技術開発部

1988年入社
工業高校卒

味冷一筋、三十年。

最初の配属は九州工場。製造ラインと製造技術の仕事を計15年近く経験しました。どんな機械に、どんな部品が使われ、どんな風に動くのか。やはり一度は製造ラインを経験しないと、技術開発は務まらないと思います。あと、この時期に電気主任技術者やエネルギー管理士、高圧ガス製造保安責任者、他、さまざまな資格を取得させてもらえたことも、その後のキャリアで大いに役立ちました。九州の後は関東工場へ。異動当初は規模の大きさに驚きました。生産する商品の種類も多く、設備に使う金額も九州時代とは桁が違う。プロジェクト全体をマネジメントする能力が磨かれた4年間だったと思います。そして、生産本部に異動。どの商品をどの工場で生産すれば良いかといった生産立地戦略を立てるなど、当社のモノづくりを俯瞰して最適な解決策を見出す仕事に携わりました。ここでも工場での経験が役立ちましたね。また、生産本部では新工場の建設プロジェクトといった業務も担うのですが、私がこの部署に移った直後、冷凍食品業界の信頼を揺るがす大事件が起こり、国内の新規プロジェクトはすべて延期に。その一方で、アメリカの冷凍ライス市場は急激に伸びていたため、私は急遽、ポートランドの工場で新ラインの建設を行う任務を授かったのです。当時、38歳。小学校6年生と3年生の子供もいましたし、正直言うと、その辞令が下った瞬間は泣きそうでした(笑)。

日本のモノづくりで、海外で勝負できる。

初めての海外赴任は家族全員で海を渡り、結果的にはとても充実した日々を送りました。赴任した当初は、機械は回らない、人は動かない、言葉は通じないと散々でしたが、自らの仕事を背中で見せながら信頼を一つひとつ勝ち得ていきました。海外製の機械では製造の目処が立たず、日本製の機械を取り寄せることになった時は、日本とアメリカの異なる安全規格や法律に苦労しながらも、工具を手に自分自身で改造にも挑戦。このアメリカでの経験が本当に私自身の財産となりました。というのも、食品業界ではまだまだ海外で通用するエンジニアの数が圧倒的に足りません。市場として魅力を感じながらも、安全規格や法律、言葉、習慣の違いに二の足を踏み、新ラインや新工場を立ち上げられない日本の食品会社も数多くあるほどです。そうした中、海外経験を積んだおかげで、私自身のキャリアの幅はさらに大きく広がりました。結果、1度目のアメリカ赴任から4年後、2度目のアメリカ行きも決定。今度はヌードル会社をまったくのゼロから立ち上げるという、より自由度の高いプロジェクトでしたが、現地で迎えてくれる仲間もいるなど、1度目より心強い環境で仕事をすることができました。日本のモノづくりで、海外で勝負できるのはとても楽しいですね。当社では今後もエンジニアが海外に行くチャンスは多いと思います。これから入社してくる人にも、ぜひ、挑戦してほしいと思います。

一日の生活

8:30~ 出社。グループ業務をチェック
9:00~ 戦略部、開発グループ、工場などとの業務やり取り
11:00~ 新製品導入に関する設備打ち合わせ
12:00~ ランチ
13:00~ グループミーティング。月次予算の進捗確認や共有などを行う
14:00~ 個別開発担当者との打ち合わせ
15:00~ 設備メーカーと新規自動化設備に関する打ち合わせ
16:00~ 生産技術テーマプランの作成
17:30 退社

エンジニアにとってチャンスの多い会社。

1度目と2度目のアメリカ赴任の間には、当社最大のライン数を誇る関東工場の新1棟工場建設プロジェクトのリーダーも務めさせてもらいました。このプロジェクトも、海外案件と同じくらい思い入れが深いですね。既存工場の生産活動を止めず、スクラップアンドビルドで工場と新規ラインを立ち上げて稼働させていくプロセスは、スケジュールを組むだけでもひと苦労。さらに、この案件では工場の外観から内装、トイレ、食堂、工場内の見学通路に至るまで、全てにこだわりつくらせてもらったので、竣工した時のやりきった感はとてつもなく大きかったですね。そして、入社30年目となる現在は、工場で稼働する生産機械を製造する部署を統括しています。こうして自らの30年を振り返ると、さまざまな形でモノづくりに携わってきていますね。この会社はエンジニアにとって様々な本当にチャンスが多い職場だと思います。やりたいことができます。

会社の好きなところ

色んなことに取り組めて、思いを形にできるやりがいある会社です。

私の好きな冷凍食品

餃子に炒飯、デザートも最高です!

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